前回は、AIとの会話が答えを受け取るだけでなく、考えを広げる壁打ちにもなる、という話を書きました。話が思わぬ方向へ転がると、最初にはなかった問いが出てくることがあります。では、AIが答えや候補をすぐに並べてくれるようになったとき、人が気づくことにはどんな意味が残るのでしょう。
以前から、業務日報に書かれた言葉のつながりから、何か傾向を拾えないかと考えていました。たとえば、よく一緒に出てくる語を線で結ぶ図があれば、「この話題とこの作業が近いのか」と目に留まる組み合わせがあるかもしれません。

共起ネットワーク図のイメージ(筆者の頭の中の図解)
ただ、そうした関係から現場の問題や熟練者の判断まで読み取れるのかは、まだ確かめられていません。
AIも、データの中から人が見落としていたかもしれない関係や、説明の候補を提示することがあります。だから「気づくのは人間だけ」と言いたいのではありません。候補が出たあと、それが現場のどんな出来事を指すのか、記録の偏りではないのか、誰に尋ねれば確かめられるのか。そう考えるところには、仕事を知る人の経験が関わります。少なくとも私は、図や文章に示された関係だけで、現場のことまで分かった気にはなれません。
AIとの壁打ちでも似たことがあります。返事の中にひっかかる一言があって、そこで初めて「自分はここを気にしていたのか」と分かることがあります。AIがきっかけを出したのか、もともとあった考えを私が拾ったのか、切り分けるのは難しいです。
この「気づく」ことについて考えていたところ、先日参加したイベントで、「DESIGN FOR THINKING」という、人が考えることを支える設計の話を聞きました。
イベントでは、直感的に判断する「System 1」とじっくり考える「System 2」に加え、AIによる頭の外の思考システムを「System 3」とする考え方が紹介されていました。

イベントで聞いた「DESIGN FOR THINKING」の話をもとに、ChatGPTとの壁打ちで作成したイメージ図
また、自分で考えたり確かめたりせず、判断を委ねてしまうことを「Cognitive Surrender(認知的な判断の委譲)」、あえてひと手間を残して考える機会をつくることを「Friction by Design」と紹介していました。
ここからは私の受け取り方ですが、AIが考える材料や見方を増やしてくれる一方で、答えをすぐ採用せず「これはどういうことだろう」と立ち止まる余地も必要なのだと思います。昔の自作PCでは、調べたり試したりする手間が、その機会になっていたのかもしれません。もちろん、不便さ自体がよいわけではありません。
気づきは、特別なひらめきというより、出てきた材料を自分の仕事や経験に照らして、「これは何だろう」と立ち止まることなのかもしれません。まだ仮説ですが、AIが多くの候補を示してくれるようになるほど、何をどう確かめるかという問いが大事になる気がしています。